くばレポ カメルーン滞在記

カメルーンの思い出

no.11 どうしても割り切れなかったこと 調理

家の画像を見ていて、思い出しました。

僕はトイレの中で調理していました。

自分が何も気にせず、食べたいものを食べるためです。

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トイレ

先の投稿で部屋を紹介しましたが、僕のプライベートスペースは、4畳半の部屋とトイレのみです。これが僕だけの空間でした。

部屋を出たら同居の拾い子の女の子が寝てるし、となりの部屋にはカメルーン人マダムが寝ている。家の外に出ると庭と炊事場、前の家の人やその使用人が住んでいる。それより先は村の人が住んでいる。正直、僕とその他では生活レベルに大きな差があった。

で、任地に来た当初、僕は家の外の炊事場でガスを使って調理をした。それを知って、村の人が集まってきた。

初めの頃は日本食を紹介したいとか調理したものを振舞ったりしたが、それがだんだん毎回になったりしてきた。もちろん食材も自分で買っているわけなので、お金のことが頭をよぎったり、食材を買うにも躊躇するようになった。僕は彼らの為に調理しているわけでないっと。

そして、ガスボンベについても、隊員仲間からは3か月は普通に使えるよっと聞いてたのが、2週間ほどで無くなってしまった。

僕が活動で外に出ている間に、近所の人が勝手に使っていたようです。使わないように言ってたけど、黙って使っていたようで、これはかなりショックでしたね。

作るの辞めました

そんなこんなで、外で作るのを辞めました。というか、それから半年くらいは、全く調理をしませんでした。

前の家の人が分けてくれた料理しか食べない。

料理も毎回くれるわけでないので、耐え切れず近所のパンを買うようになる。

結構この時期は外に出るのも嫌になっていた時期ですね。結構痩せました。

 

ただ、この時に前の家の人にお金出すから毎回料理ちょうだいって言っても、お金は受け取ってくれなかったな。なんでかな?食事を分けるのにお金は関係ないってことだったのかな?でも、結構くれない時も多かったから、お金を払うって言ったのに、かたくなにお金は受け取らなかったな。んー、真意はわからない。

 

トイレの中で作ろう

ただ、そんな生活も半年が限界で、自分だけの空間、トイレで調理をすることにしました。

まず、ガスコンロ。これは狭いから置けませんでした。

次に灯油で火をつける七輪のようなもので調理をしました。これも失敗。一酸化炭素中毒になりかけました。

最後は、やはり電気コンロ。うちの村は停電が多いから候補からは外していましたが、これが一番良かったです。電気があるうちに調理する。たまに途中で停電になった時はあきらめ、そのまま食べる。もうそれでも自由に好きなものが食べれるという状況に満足していました。

 

結果、この状況は、日本に帰るまで続き、外で調理する、自分と村人の違いを割り切ることはできませんでした。自分の弱さ、他人を受け入れるということがあまりにできていなかったと思います。反省。

しかしながら、2年間ここで生活すると思うと、その距離感を自分の中でどう処理するかがとても難しかったです。